堺にある三味線伝来の石碑
たっちゃんです。
ネットの掲示板で、こんな書き込みを見つけました。
「大阪の境港に三味線伝来の石碑は、あるんですが、」と言う物です。
以前にも、この私のコンクール挑戦記で「琉球から堺にやってきた三線が三味線として全国に広がった、その地で三線を学ぶことが出来るのは誉れである」と言うことを書きましたが、
書籍や先輩方の話で三線伝来の話を見聞きして居るものの、それらの話の殆どが「~らしい」だったり、実際に堺の町で、不思議とそんな三線と三味線に関する、史跡他、関連するその物の存在を、今回初めて目にした次第です。
今回のコンクール記は、教室の皆と「三味線伝来の石碑を見に行こう!」と言うお話です。
ちなみに、冒頭の画像は三味線伝来の石碑ではなく、隆達の碑です。
大阪の境港の三味線伝来の石碑
書き込みで見つけた「大阪の境港に三味線伝来の石碑は、あるんですが、」と言う文言、境港と言えば思いつくのは鳥取県の境港であって、堺港やよね?と言うのが皆の意見、
江戸以前の中世の時代に堺港は貿易港として発展し、「ものの始まりなんでも堺」と言う言葉があるぐらい、貿易で栄えた町だったと言うことで、この港に三線がやってきたであろうことは想像出来ます。
で、一体「堺港」のどこにその石碑があるのか?
ネット上にはもちろん、各方面で情報収集し、堺港近辺をスーパーカブで走り回って見たりもしましたが、三味線伝来の石碑の影はまったく見えません。
境港は堺湊ではないか?
引用元:堺市ホームページ
界隈は、戦火で焼け野原となってしまい、今の町並みは戦後に出来上がった物ですが、かつて、祖父が商売をしていた土地だと言うことで、馴染み深く、ふと私が思ったのが、境港は堺湊ではないか?と言う事。
「湊」と言う町があって、その昔には、たいそう栄えたそうで、堺市のサイトにはこんな昔の絵図が有り、なるほど、ありえない話では無いなと、堺湊も石碑探しの場所に加えました。
そしてついに石碑発見!!!
となれば「ええ話」だと万歳出来るのですが、そう簡単にはたどり着けません、相変わらず石碑の情報は皆無です。
宿院の和楽器専門店 つるや楽器で尋ねて見た
湊の隣町、宿院にある、和楽器専門店の、つるや楽器さん(お琴やお三味線の製造販売を行っている)なら何かご存知では無いかと警察署で教えていただき、お店を訪ねてみました。
>>> つるや楽器 ウェブサイト
三味線の体験とかもされてます。
こちらでも、石碑の情報は得られず、宿院にある長谷寺が三線に所縁が深いと教えて貰いました。
長谷寺と三線と三味線
早速訪ねた長谷寺。
長谷寺は真言宗豊山派の寺院、奈良の長谷寺総本山の建立後、諸国に建てられた長谷寺の一つで、和泉長谷寺とも呼ばれます。沖縄の糸満にも同じ宗派の長谷寺があるということに、三線との縁を感じずには居られません。
住職を訪ねお話を伺ったところ、和泉長谷寺の1200年の歴史の中には、昔、本堂では蛇皮線の演奏などが行われていた、と伝えられているとのことでした。
長谷寺の本堂は今の大寺さん(開口神社)あたりにあったそうですが、堺大空襲で廃墟と化し、石碑の存在も知らないとのことでした。
顕本寺と隆達?
堺市の観光課、文化課を訪ね調べてもらいましたが、三線の石碑情報は得れませんでしたが、高三隆達の碑が顕本寺にあると教えてくれました。
隆達は顕本寺で出家し連歌・声曲・書画などに秀で、当時流行していた小歌を集め、独特な声調の隆達節(隆達小唄)を流行らせた偉人で、三味線の伴奏を伴う物だったそう。
琉球の三線が三味線となり隆達節が三味線を広める事に大いに貢献したと想像出来ます。
顕本寺は長谷寺の斜め向かいでした。
結局石碑は見つからず、、、
警察署や観光案内書、図書館、ボランティア協会など手を尽くし情報を求め続けておりますが、現在の所「三味線伝来の石碑」の存在は見えません。
もしかすると、ネットには有りがちな、責任の無い誤情報を目にしただけだったのかも知れません。
とは言え、今回改めて、堺の町が栄えた頃の歴史を色々と垣間見れたのは大きな収穫でしたし、南蛮貿易の中には三線と言う音楽がきっとあったに違い無いと思う出会いはその他にも色々と有りました。
引き続き調査を続けたいと思います。
何か情報をお持ちの方は、是非お寄せ下さい。
コメントを残す