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2019-03-09

宮古民謡について

宮古民謡

宮古民謡のことを知っていると言う方は、すでに三線を弾いている方であったり、よほど、沖縄音楽のことについて詳しい方だと思います。

どちらかと言えば、沖縄の民謡の中でもマイナーな存在であることは否めない宮古民謡について、書き綴って行きたいと思います。

 

三線のルーツ

宮古民謡はもちろんですが、琉球の民謡と三線という楽器は、今では切り離せない存在であるのは間違いなく、異存のある方も居ないでしょう。

三線の元となる楽器である「三絃」が中国の福建省から沖縄の地に伝わったのは琉球王国時代、その時代、琉球王国は、沖縄で言うところの、内地(日本本土)から見れば、中国や東南アジアの国々と同じ、南の島にある国の一つだったと言います。

内地から見れば、自分たちが暮らす日本とは違う独自の文化が育っていたのは当然のことでしょう、その中の独自の文化の一つが三線音楽だったということですね。

宮古民謡 三線

今の内地で弾かれている、長唄三味線や津軽三味線も、そのルーツは沖縄の三線です。沖縄から今の大阪・堺の地に伝わり、さらに形を変えて全国へ広がって行ったとのこと。

その堺の地で、宮絃会関西支部をスタートさせることが出来たと言うのも、何かの縁を感じずにはおれず、なんと誇らしい話なんだろうと勝手に思っています。

古典音楽と民謡

こうして、中国から伝わった三線は、琉球王国で今の琉球古典音楽のルーツとなる、宮廷音楽として発展することになります。

そのもう一方で庶民によって歌われた民謡は、神様に捧げる神謡に始まり、仕事唄、祝い唄、叙情歌など、宮廷音楽とは違う、自由な発想で現在に歌い継がれています。

三線が琉球王国に伝わった当時、この楽器は士族だけのものでした。庶民にとっては三線などは別世界の話だったそうです。

琉球王国が薩摩藩によって制圧された後に、三線は庶民のものである民謡にも取り入れられるようになっていったのです。(宮古島を始めとする離島では、三線が使われ出すのは、もっと後の話です。)

こんな感じで、古典音楽と民謡、同じ琉球の音楽の中にも、2つの流れがあるのです。

琉球と呼ばれる各地の民謡には、今でも三線抜きの太鼓や手拍子だけで唄われる曲も、沢山存在します。それはそれで味わい深いものなので、機会があれば是非聴いてみてください。三線音楽の造詣が深まるのは間違いありません。

余談になりますが、琉球には舞踊の世界もあるし、太鼓に琴、琉球笛、三線はそれぞれと深く関わっています。

民謡にも実は色んな種類がある

琉球舞踊

宮廷での古典音楽と庶民の間で広まった民謡があると書きましたが、まず紹介したいのは、庶民の間で広まって来た民謡についてです。

琉球の民謡と一括りで言っても、実は色んな民謡があることを知っているのは、冒頭でも書いた通り、結構な「沖縄音楽好き」であるのは間違いありません、好き者の世界です。

具体的には、民謡は大きく別けて、「沖縄本島の民謡」「宮古民謡」「八重山民謡」がありますし、以前、八重山民謡の重鎮である大先生のお話を琉球イベントの打ち上げの席で伺う機会があり、その時に耳にしたのが、今回の「琉球イベント」の「琉球」という言葉を使うのであれば、その昔は琉球諸島に含まれた「奄美民謡」なども加えるべきだとの話をされていました。

さらに、沖縄本島の中でも、各地域の唄というのが存在するし、私達が学ぶ、宮古民謡も村々によっても違いが存在するのです。それは歌詞であったり歌い方そのものだったりします。

私は宮古島だけではなく、あちこちの離島ヘ足を運んで民謡を訪ね歩くのがライフワークになってしばらくの月日が経ちますが、民謡は同曲が色んな形で島々へと伝わっており、たとえば、沖縄民謡では有名な曲の一つ「安里屋ユンタ」などはその元歌は八重山民謡ですし、宮古島の民謡がルーツとなる歌も、沖縄本島では沢山歌われています。

庶民によって歌い継がれ、育てられた民謡は、各島々村々でで姿形を変えながら存在するのです。沖縄本島の唄を奄美大島で聴いたり、もちろん、逆も有ります。

「民の謡は旅をする」、民謡の研究をする先生に教えていただいた言葉ですが、ふとしたきっかけでその現場に出会ってしまうと、民謡はますます止められなくなるのです。

ビギンは民謡じゃない?

近年では、誰もがよく知る、ザ・ブームの島唄や石垣島出身のビギンらが唄う歌は民謡では無いのか?

先日、教室に見学に来たいという方に、どんな曲を練習するのか?と尋ねられました。宮古民謡を中心にという話をしたところ、そうおっしゃったのです。自分は島唄やオリオンビールを三線で弾きたいと。

そんな話をこうして実際に耳にするぐらい、三線音楽は彼らの力を借りてメジャーになったのも間違い無く、三線 = 民謡 という図式もあるみたいですが、民謡は必ずしも三線がセットであることもなく、三線が一般的な楽器にになるのは、近年になってからだと言うのはあまり知られていない話なのです。

先の方は、結局、言葉も判らない音楽に興味が持てない、ということで、ご縁が無かったと言う話になってしまいましたが、私も元々は島唄やオリオンビールを聴いて三線に目覚めたクチですから、いつかまた三線の音を聴いて、民謡を思い出してくれればな、と思います。

教室でも島唄なども練習曲として有りますが、それは民謡か?と言われれば、同じ三線音楽でも、ちょっと違うよね、と、今は答えるかと思います。

宮古民謡のルーツ

宮古民謡

ようやく宮古民謡の話にたどり着きました。画像は宮古島での民謡酒場での一コマです。もちろん、宮古民謡どっぷりのお店で、ポップス系無しに、宮古民謡を堪能した一夜となりました。

宮古民謡の元を辿ると、神歌がそのルーツになります。神様に祈りを捧げる伴奏無しの唄です。

神様に祈りを捧げる歌から、その土地の英雄を歌った唄、豊年を願う唄、喜ぶ唄などが次々と誕生して、今日に伝わる宮古民謡として歌い継がれているのです。

三線が伴奏として使われる様になったのは、思いのほか、最近の話で、1950年から1960年頃にかけて、ようやく盛んに三線が用いられるようになったそうで、人頭税という悪名高い重税に苦しめられてきた住民にとっては、三線という楽器が高嶺の花だったということでしょう。

与論島や奄美大島など周辺の離島でも同じ様な感じだったと言う話を聞いています。

宮古民謡の特徴

宮古島

宮古の民謡は、大きく別けて3つ、先に紹介した、神謡に加えて、古謡、民謡と別けられます。古謡は文字通り、古くから宮古で歌われてきた民謡です。

神謡を、それこそ、生で聴く機会はそうそう無いと思います。

たとえば、宮古島の北西にある、池間大橋で結ばれた池間島の人は、年に一回、ミャークツヅという祭りで、ツカサンマーという女性たちしか入れない御嶽にて三日間もの間、何十時間もお祈りの唄を捧げる神事があります。

そんな歌が宮古民謡の基礎になり、綾語(あやぐ)という独特の旋律が生まれたのでしょう。

綾語(あやぐ)という言葉は、宮古民謡独特の言い回して、他の島々では、○○節などと呼ぶのを、宮古では○○綾語になります。

綾という言葉、美しい言葉だと思いませんか?色んな思いを織りなす言葉です。

たとえば、豊年節は豊年の綾語になるのです。宮古島に行けば、住民の皆が知っている「なりやまあやぐ」も綾語ですね。

また、宮古民謡は沖縄民謡で多く使われる、琉歌形式と呼ばれる「八・八・八・六」の形にとらわれず、比較的自由に歌詞を並べるのも特徴の一つです。

三線の伴奏も、沖縄の古典音楽の様な、ゆったりとした重厚な演奏も多く、他の島とは違った独特の宮古の旋律が奏でられます。

宮古民謡の歌い手

便利な世の中です、ネットで宮古民謡と検索すれば、たちまち宮古民謡の音源が手に入る訳ですから、積極的に活用するべきだと思います。

国吉源次

1930年 宮古島市城辺町字新城生まれ
宮古民謡を語るに、国吉源氏先生は絶対に外すことが出来ません。島内外で活躍され、沢山の音源を入手することが出来ます。宮古民謡の生き字引だ、というお弟子さんがいるぐらい、偉大な先生です。(2021年逝去)

来間武男

1941年 宮古島市上野村上野生まれ
宮古民謡協会会長などを努め、数々の賞を受賞した宮古民謡の歌い手、来間武男先生です。これまで録音した宮古民謡を始めとする曲は100曲ほどにもなるそうで、おすすめは国吉源次先生とのコラボアルバム「いらよい沖縄」は秀逸を極めたアルバムだと思います。

仲宗根豊

下地町来間島生まれ
国吉源次先生に師事し、宮古民謡保存会、琉球國民謡協会の師範として活躍。「星砂の島から・あゝぐ」という二枚組のアルバムがたっぷりと仲宗根豊先生の宮古民謡を聴けます。

清村斉

1970年 宮古郡多良間島村生まれ
大阪で三線工房きよむらを営みながら、精力的にライブ活動も行っています。清村斉withピンダ☆ピンザの名義で宮古民謡とオリジナル曲のCD「ずみっ!」があります。ずみと言うのは、宮古の方言で最高!とか素晴らしい!という感じで使われます。

大阪で宮古民謡の生演奏を聴く

宮古民謡

宮古島はもちろん、沖縄の地に行けば、どこに行っても目にすることが出来るのが民謡酒場などと呼ばれる居酒屋です。

飲み食いしながら各ジャンルの沖縄の民謡の生演奏を楽しむことが出来る店で、それこそ、沖縄ポップスを演る店から、民謡が唄われる店など、私達三線奏者が、沖縄へ行くお目当ての一つは、民謡酒場なのは間違いない話です。

沖縄に暮らす、民謡好きな友人たちにリクエストすれば、すぐに「激しい系?」「ゆっくり系?」「有名人が良い?」とたちまち話がまとまります。

「宮古民謡が聴きたい」とか、もっと細かく「なりやまあやぐが聴きたい」、そんなリクエストに全て対応してくれるのが沖縄ですね。

とは言え、年に何度も沖縄の地へ行くわけにもいかず、せいぜい頑張って一度か二度、という話に頷く内地の人は多いと思いますが、我々が暮らす大阪にも民謡酒場が幾つもあるので、当然、足繁く通うことになってしまいます。

とは言っても、沖縄の民謡酒場と同様な、という店は少なくて、大抵は沖縄料理屋さんで、週末とかにはライブも演ってますよ、そんな感じのお店が多いです。

更に、ジャンルを絞って、宮古民謡ともなれば、大阪で生演奏を聴くことが出来るチャンスはそうそうありません。

当会の相談役をお願いしている清村斉先生は月に1~2度、関西一円で演奏を行っているので、宮古民謡を聴くのであれば、是非にとおすすめしておきます。

その他、時々大阪には、宮古から演奏に来られる唄者がおられますから、ライブを演る店は要チェックです。琉球系イベントにも、宮古系の唄者が時々現れるので、こちらもまたチェックはかかせません。

宮絃会堺支部の事務所から、歩いて10分ほどの場所にも、以前は石垣島出身の方の店があったんですが、いつの間にか閉店してしまいました。時折知人たちの演奏を聴きに行ったのですが、、、

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