【宮古民謡】多良間シュンカニと多良間島
多良間島は、ちょうど宮古島本島と八重山の真中(正確には八重山の方が近いそう)、ぐるっと一周約20キロ、最も高い場所が標高33mと言うまんまるぺったんこの島です。
サトウキビ畑に牛やヤギが草を食み、手つかずの自然が多く残る、絵に書いた と言う言葉がピッタリの南の島、そして、国の重要無形民俗文化財に指定される豊年祭である「八月踊り」など、古くからの伝統が受け継がれる芸能の島、唄の島なのです。
そんな多良間島の唄、宮古民謡を代表する唄の一つ、多良間シュンカニを紹介します。
Contents
多良間シュンカニについて
多良間シュンカニは宮古民謡を含む、先島の歴史を語るに外すことの出来ない「人頭税」の時代の唄、多良間島に赴任してきた役人と、多良間の言葉でウェーンマと呼ばれる現地妻との別れが歌われた悲しい恋の唄です。
現地妻との別れの唄は、琉球の島々に残されているのはご存知の通り、以前に紹介した、安里屋ユンタなども八重山の竹富島で繰り広げられた役人との話です。
>>> 安里屋ユンタの記事
私的な話になりますが、宮古民謡を学び始めて、早数年が経ちますが、自分の中で、その存在がどんどん大きくなってきたのが多良間島、
ある意味、これは当然な話で、私達は琉球民謡保存会の下部組織である宮弦会という会にも所属して宮古民謡を学んでいますが、沖縄本島に在住の宮弦会会長である福嶺先生を始め、他の先生方、大阪で三線工房を営む、関西支部の顧問をお願いしている清村先生も多良間島出身なのです。
そんな縁もあって、最近では、自分の中の宮古本島の唄と多良間島の唄とを意識して分けるようにもなってきたぐらい、多良間シュンカニ以外にも多良間の唄を好んで学んでいます。
宮古民謡の名曲と言えば、「伊良部トーガニ」や「トーガにあやぐ」を上げる方が少なくないですが、多良間を冠したこの「多良間シュンカニ」が私の中のベストオブ宮古民謡だと言うぐらい思い入れが強く、多良間島を意識してこの唄を学ぶ過程で、沢山の気づきが有ったのは大きな収穫となっています。
色んな多良間シュンカニ
民謡は移動する、と言う話を書籍で読んだのは、琉球民謡の研究家として有名な、故仲宗根幸一先生の著書「南海の歌と民俗」です。
その中で、慣れ親しんでいたあの唄とこの唄のルーツが同じ、そんな話が少なくないことに驚きながら、どうやって伝わったんだろうか?と思っていた所、こうして多良間シュンカニを学んで居る間に、リアルに体感することになりました。
この多良間シュンカニという名曲が、歌碑も建立されている多良間で歌われてきたのであろうという事は当たり前に想像出来ますが、歌い手の数だけ色んな多良間シュンカニがあると言うこと。
是非、以下の多良間シュンカニを視聴ください。
■多良間に暮らす仲間精一さんの多良間シュンカニ
■本島在住 宮弦会会長 福嶺勝公先生の多良間シュンカニ
■大阪在住 三線工房きよむらの清村斉先生の多良間シュンカニ
■故嘉手苅林昌先生の多良間シュンカニ
多良間島の仲間精一さんをスタートとして色んな多良間シュンカニを並べて見ましたが、各島の人間が自分の言葉で歌い、受け継がれ少しずつ変わって行く様子を感じることが出来たのでは無いかと思います。
暮らしている土地や立場などもあるでしょう、唄も三線の伴奏も変わってきているのが判ります。
仲間精一さんの多良間シュンカニと嘉手苅林昌先生の多良間シュンカニを民謡を知らない人が聞けば、もはや別物の唄に聞こえる筈です。
ちなみに、スタンダードと言うか、宮古民謡を演るほとんどの人が知る多良間シュンカニは、やっぱり、宮古民謡と言えばの故国吉源次先生が歌う多良間シュンカニだと思います。
所属する宮弦会の工工四は先生の物に近く、音源として入手しやすいのも源次先生の多良間シュンカニを踏襲したものが多いと思います。
ところが、多良間の仲間精一さんの多良間シュンカニとは別物、どう考えてもこちらが多良間で歌われて来た多良間シュンカニに近い物だと言うことは疑いようもありません。
私達は清村斉先生の傍で学ばせていただいているので、先生の多良間シュンカニを色んな場面で聴いてますが、その先生の多良間シュンカニでさえ、10年前と今では色んな変化が見られます。
多良間シュンカニの歴史
先日、清村先生との雑談の中で、多良間シュンカニの元となった唄があるのでは?と言う仮設を議論しました。
多良間シュンカニの投稿記事なので、あえて、シュンカニ系の唄と書きますが、シュンカニ系の唄は琉球弧の唄の中には数え切れないほど存在します。
有名なところだと、沖縄本島の「遊びシュンガネ」、与那国の「与那国ションカネー」、奄美の「シュンカネ節」、島々をみるとまだまだ両手では足らないぐらいあるでしょう。
「シュンカネ」「シュンカニ」 「スンカニ」と言うのは囃子詞だと言うことですが、実は、内地にも 「ションガ」 「ションカエ」 「ションガエ」 と付いた民謡が各地に存在します。
これらの唄が無関係では無いと言うのは、既に各方面の方が書かれており、琉球のシュンカニ系の唄は内地が元唄だろうと言われています。
江戸の時代に、日本各地で民謡化した「ションガナイ」と言う流行歌が沖縄を含む全国各地に広がった姿の一つが琉球の島々のシュンカニ系の唄、
そう考えると、多良間島に多良間シュンカニの唄が生まれた背景には人頭税があり、人頭税は明治の時代まで続いたという定説とは一致します。
とは言え、このウェーンマの物語は、1637年から1903年までと言う長きに渡って続いたと言われる、人頭税の時代の何時の頃の話なのか?は一切資料もありません。
我々演者にとっては、他のシュンカニ系とは違って、唄の中に「シュンカニ」と言う言葉がお囃子を含めて一言も出てくることが無いことに違和感。
多良間島で歌い継がれて来たこの唄に「多良間シュンカニ」と言う名が付けられたのは、案外最近の話なのではないだろうか?と言う仮説が浮かんだ訳です。
清村先生とは、次回に多良間島に行く機会がある際に、島の方々に尋ねて回ろうと話しています。
多良間シュンカニと言う唄が教えてくれることがまだまだありそうです。
歌詞とその意味
他の唄と同様に、色んな歌詞が有りますが、ここで紹介するのは、歌碑にも刻まれているスタンダードな多良間シュンカニです。
前泊 道がまからよ
マーン 下り坂 小径(しゅうづ)からよ
主が船 迎い(んかい)がよ すが下りよ片手しゃ ぼうずがましゃうきよ
マーン 片手 しゃ 瓶ぬ酒(しゃき)持てぃよ
主が船 うしゃぎがよ すが下りよ東(あがず)ん立つ 白雲だきよ
マーン わぁらん 立つ ぬり雲だきよ
うぷしゃや なりわぁらだよ ばんたが主よ
前泊の小さな道を 下り坂を 細い道を下りて
主人の船を迎えに 迎えに行くよ
片手には子供の手を引いて 片手には瓶の酒を持って
主人の船を見送りに 見送りに行くよ
東の空に上り立つ 白い雲のように
東の方に 立ち上がっている雲の様に
大きくなって 帰って下さい 私のご主人さま
多良間シュンカニの三線について
切々と歌い上げる多良間シュンカニの三線、ちんだみは本調子です。
1番の指を六の位置へ上げる中位で弾くので、中位のポジションがしっかりと取れる方には、でそれほど難しい手は出てこないので比較的とっつきやすいのでは無いでしょうか。
多良間シュンカニ大会
多良間シュンカニ大会と言うのも開催されています。
文字通り、多良間シュンカニを競う大会として、歌碑建立の年から開催された多良間シュンカニ大会ですが、一時は途絶えていたものの、2012年に14年ぶりに再開され、2016年の第12回大会のウェーンマ賞 (最優秀賞)を受賞したのは、同門の伊良皆紀夫さんが受賞されました。
そして、2020年の第13会大会は、ご存知新型コロナウイルスの為中止、未だこの大会へ、実際に足を運ぶには至っておりません。
前泊の港の歌碑とウェーンマ像
フェリーたらまゆうが停泊する、歌詞にも出てくる前泊の港の西側、すぐ近くに、多良間シュンカニの歌碑とウェーンマ像があります。
多良間村文化協会が1995年6月、多良間シュンカニを貴重な文化遺産として伝承するためとして、ここに歌碑が建立されました。
多良間を訪れた際には、三線弾きとしては必ず訪れて、ウエーンマ像が眺めている何処までも青い海を一緒に眺めながら、多良間シュンカニを口ずさんでください。
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