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2020-05-26

【沖縄民謡】果報節(くゎふーぶし)

【沖縄民謡】果報節(くゎふーぶし)

故普久原朝喜先生の作品果報節、沖縄民謡の世界では、人気のあるコンビ唄として歌い継がれています。

果報節と言う唄は、宮絃会関西支部とも縁のある唄で、お世話になっている沖縄県人会の大先輩にお聞きしたところ、大阪の地での結婚式の祝いの席で、出来たばかりだと言う果報節を先生自らが披露されたのだそうです。

そんな縁もあり、果報節は発表会の課題曲として取り上げられたり、普段からよく斉唱する唄なのです。

沖縄民謡と言えば マルフクレコードの普久原朝喜

【沖縄民謡】果報節(くゎふーぶし)

ご存知の方は多いかと思います。大阪には、日本一のリトル沖縄として知られる大阪市大正区をはじめ、大阪に隣接する尼崎など、大正時代の終わり頃に琉球の各地を襲った大不景気の際に、沢山の人が仕事を求めて関西にやってきたそうで、その子孫が今も大勢暮らして居ます。

普久原朝喜先生もそんな中の一人でした。そして、1927年、在阪の琉球民謡の歌い手を集めて、沖縄民謡のレコードを制作、販売をスタートしたのがマルフクレコードです。

自らレコードを売って歩くのに、自転車の荷台に蓄音器を置いてレコードを聴かせながら行商する姿が名物となって「チコンキーフクバル(蓄音機 普久原)」と呼ばれるようになり、令和の時代になった今でもギリギリその姿を覚えて居る方のお話を聞くことが出来ます。

マルフクレコードは、同じように大阪だけではなく、ハワイや南米などに移住した沖縄出身の人々にも支持されながら、琉球民謡と言えばマルフクレコードと言われるまでに、成長したのです。

余談ですが、この時代には本当に沢山の人が沖縄を出て暮らして居たんだなと思う話が沢山で、琉球民謡の世界で一時代を築き上げた故登川誠仁先生や大城美佐子先生が大阪で生まれたと言うのはよく聞く話ですし、現在も活躍中の知名定男先生も大阪で育ったそうです。

先の戦争によってマルフクレコードは一時は大打撃を受け一時期は影を潜めたものの、1950年代には、ご子息、普久原恒勇氏の手により、大阪から沖縄へ里帰り?して現在に引き継がれています。

普久原朝喜・恒勇の両氏ともに、唄三線の名人として知られ、朝喜先生自身も沢山の音源を残していますし、恒勇先生は、よく知る唄で言うと、「芭蕉布」「豊年音頭」「島々清しゃ」など、沖縄民謡好きなら誰もが口ずさむ名曲を作った作曲家として現在も活躍中です。

興味のある方は、youtubeなどチェックすると800本あまりのマルフクレコードの音源がアップされています、お宝です。是非チェックください。

>>> YouTube マルフクレコード

【沖縄民謡】果報節(くゎふーぶし)

生誕90周年となった1993年に、沖縄こどもの国の入り口側には、「近代琉球民謡之祖 普久原朝喜顕彰碑」が建立されています。

果報節の歌詞

神からがやたら 結ばりてぃ縁や 浮世荒波ん 渡てぃ行ちゅん
二人や此ぬ世ぬ 果報な者

【神様のおかげだったのであろうか 結ばれた縁は 浮世の荒波も渡っていく】
【二人はこの世の果報者だ】

闇ぬさか坂ん かながなとぅ手取てぃ 共に肝合わち 登る嬉さ
二人や此ぬ世ぬ 果報な者

【暗闇の急な坂も 仲良く手を取って 互いに心を合わせ登ることの嬉しさ】

花ん蕾から 露受きてぃ咲ちゅい 二人が真心ん 咲かちでむぬ
二人や此ぬ世ぬ 果報な者

【花も蕾の頃から 露を受けて咲くもの 二人の真心も花の様に咲くでしょう】

例いあばら屋に 住家しち居てぃん 貫木家に勝る 愛ぬ住家
二人や此ぬ世ぬ 果報な者

【たとえあばら家に住んでいても 貫木家にも勝る愛の住家だ】

誠一筋に 思み働てぃ居りば 家庭や和ぬ元に 笑い福い
二人や此ぬ世ぬ 果報な者

【誠実一筋に励んでいれば 家庭は和をもって 笑い福が来る)】

果報の意味

果報と言う言葉自体はもともとは仏教用語で「因縁」と言う意味を持つそうです。物事が成り立つには因縁があります。因は物事が成立する原因、縁は原因を育てる条件となります。

例えば、花が咲くには種が必要です。種は花の因です。種を育てるのに、土や水、太陽の光など色んな条件が揃って初めて花が咲きます。これが縁です。

この二つが合わさって因縁、その結果が果報です。

果報は何時現れるか判らないもの、日々の行いと努力をして心穏やかに待つもの、だから、「果報は寝て待て」などと言う言葉が今の時代にもあるわけです。

御祝いの席での「この果報者」と投げかけられる言葉には、二人で育ててきた想いの結果を祝うと言う意味が込められています。

作者がそんなことを思ってこの歌を作ったのかと言うのは今となっては判りませんが、何よりもテンポよく楽しい歌だと思います。

今の時代、果報と言う言葉は、実際に使われることはな無く若者に尋ねたら何名かは「知らない」との答えが帰ってきました。

普久原朝喜先生の三線

【沖縄民謡】果報節(くゎふーぶし)

画像は、生前、普久原朝喜先生が利用していた三線や蓄音機だそうです。大阪人権博物館「リバティおおさか」に展示されていると聞き、見学してきました。

展示物はそれほど沢山ありませんでしたが、三線の他にも竹で作られた爪など、興味深い資料が色々ありました。リバティおおさか、残念ながら現在の施設は取り壊しが決まっていて、今月(2020.05.31)で閉館となるそうで、再開は2022年の予定、展示物などもどうなるのか未定だとのことです。

叶わない話ですが、展示されているこの三線で、果報節を唄ってみたいなと思いました。

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