【宮古民謡】なりやまあやぐの歌碑を尋ねて
宮古の民謡の代表する古謡の一つ「なりやまあやぐ」です。
この唄が、いつ頃、何時の時代に作られた唄なのかは、はっきりしないそうですが、1864年頃にはすでに宮古島市城辺友利では歌われていたという記録があるそうで、1960年に琉球放送ラジオ番組『素人のど自慢大会』で世に知れ渡ることとなり、人気の唄となりました。
宮古島では「なりやまあやぐまつり」として、なりやまあやぐを競う大会もあるほど、宮古の人ならば、誰もが口ずさむことの出来る唄の一つだとはよく耳にします。
宮古民謡を習えば、「豊年の歌」と共にまず最初の課題曲に選ばれることも多い曲ですが、なかなかどうして、宮古民謡の奥の深さを思い知らされる、歌えば歌うほど難易度の高くなる難しい唄の一つだと、皆クチを揃えます。
琉球民謡保存会のコンクールでは、この「なりやまあやぐ」か「池間の主」「大世栄」が優秀賞の課題曲として歌われます。(沖縄・八重山にもそれぞれ課題曲があります。)
よく歌われる なりやまあやぐの歌詞
サー なりやまや なりてぃぬなりやま
すみやまや すみてぃぬすみやま
イラユマーン サーヤヌ すみてぃぬすみやまサー なりやま んみゃいすてぃ なりぶりさまずな主
そみやまんみゃいすて すみぶりさまずな主
イラユマーン サーヤヌ すみぶりさまずな主サー 馬ん乗らば たずなゆゆるすな主
美童家行き 心ゆるすな主
イラユマーン サーヤヌ 心ゆるすな主サー 馬ぬ美しゃや 白さど美しゃ
美童美しゃや 色ど美しゃ
イラユマーン サーヤヌ 色ど美しゃサー ぶり押し波や 笑いど押しず
ばんぶなりや 笑いど迎(んか)い
イラユマーン サーヤヌ 笑いど迎(んか)い
唄の解説
なりやまは 慣れ山。慣れた山だからと言って油断するんじゃ無い、と言うことを夫に向かって諭している、そんな教訓歌の様な意味を持つ歌です。
サー なりやまや なりてぃぬなりやま
すみやまや すみてぃぬすみやま
一番の歌詞では、慣れている山、いつも通っている山だからと言って油断するな、と歌われています。
サー なりやま んみゃいすてぃ なりぶりさまずな主
そみやまんみゃいすて すみぶりさまずな主
通い慣れた山へ行って、女性に惚れて、仕事をしなくなってはいけません。
サー 馬ん乗らば たずなゆゆるすな主
美童家行き 心ゆるすな主
三番の歌詞になると、だんだんストレートになってきて、馬に乗るときには手綱を緩めてはいけません。美しい女性の家へ行く際には、心を許さないように、と歌っています。
先に、教訓歌と書きましたが、確かに、良く耳にするのが、妻が夫を戒める唄だという解釈です。
ところが、宮古訪問の際や宮弦会の先生方の話を聞くと、たとえば、年頃の息子に女性とばかり遊んでいては駄目だと母親が戒めたり、
なりやまあやぐは元々男女の唄掛けが基本で、三線の伴奏もないカニスマ(アカペラ)で、手を打ちながら歌詞は自由に歌われ、
口説き口説かれの艶っぽい唄だったんだとの話も。個人的にはこちらの方が民謡っぽい話だとは思います、、、
サー 馬ぬ美しゃや 白さど美しゃ
美童美しゃや 色ど美しゃ
イラユマーン サーヤヌ 色ど美しゃサー ぶり押し波や 笑いど押しず
ばんぶなりや 笑いど迎(んか)い
イラユマーン サーヤヌ 笑いど迎(んか)い
馬の美しいのは白い馬 女性は色白が美しい。
打ち寄せる波は笑って寄せる 私の女は笑顔で迎える。
確かに、四番 五番の歌詞は、教訓歌と言うよりも唄遊びっぽい歌詞じゃないでしょうか。
YouTubeにその元歌となる「なりやま節」があったので、今の「なりやまあやぐ」と是非聴き比べて見て下さい。
なりやまあやぐの歌碑
宮古島市城辺友利にあるインギャーマリンガーデンの東側駐車場のすぐ奥になりやまあやぐの歌碑はあります。
(ここからすぐ近くには、1960年に琉球放送のラジオの素人のど自慢大会に出場して、なりやまあやぐを一気に有名にした友里貫巧先生の生家と記念碑の直ぐ近くです。)
なりやまあやぐを解説した歌牌には以下の様に書かれています。
なりやまあやぐは宮古を代表する民謡として広く愛唱れている。
友利では、明治から大正にかけて、佐久本武佐氏、下地亀氏、川満恵長氏らによって、おのおの叙情的歌詞として即興で歌われたと伝えられている。
これが、この地域この地域で歌い継がれていた、
1960(昭和35)年、友利實功氏が宮古で行われた琉球放送ラジオの素人のど自慢大会で「なりやまあやぐ」を初めて電波にのせ、世に広く知られるようなる。
なりやまあやぐ発祥の地が友利であることを、未来永劫、構成に語り継ぐため、ここに歌碑を建立する。
2005年9月
なりやまあやぐ歌碑建立委員会
インギャーマリンガーデンは、天然の入り江という地形を活かした海浜公園で、穏やかなビーチは子連れでも安心の隠れた人気スポットとして、地元では「インギャー」とか「友利インギャー」などとも呼ばれます。
ちなみに、インギャーとは湧き水を指す方言で、ここで泳いでいると、海中にこんこんと湧き出る湧き水が見えるんだとか。
なりやまあやぐの発祥の地として、毎年秋に行われる「なりやまあやぐまつり」は、この静かな入江の海の上に特設ステージが設けられ開催されます。
機会があれば是非一度見たい思っていますが、未だ叶わず。この大会に出場した知人によれば、数百ものローソクの灯籠の光となりやまあやぐは、一見の価値有りだとのことです。
友利實功 生誕の地
少しさみしい感じの家が印象的、友利實功(ともりじっこう)氏の生誕の地がなりやまあやぐの歌碑へ向かう途中にあると聞いて立ち寄りました。
1895年(明治28年)
12月友利村55番地の1で生まれる。1960年(昭和35年)
琉球放送ラジオ番組、素人のど自慢大会で「なりやまあやぐ」を初めて歌い世に出した。1971年(昭和46年)
12月 76歳で逝去。
なりやまあやぐを世に広めた功績者として知られる割には、友利氏のことは、以外にも多くはわかりません。
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