唄三線の始祖 伝説の赤犬子を尋ねて 読谷村の赤犬子宮(あかぬくー)へ
三線弾きの聖地と言われる、読谷村楚辺(そべ)の赤犬子宮へお参りしました。
三線を嗜む者なら、沖縄へ来た際には手を合わせとくと良いよ、三線が上手になるかも、みたいなことを幾度も聞かされていましたが、今回、ようやく手を合わせることが出来ました。
唄三線の始祖 赤犬子
唄三線の始祖と呼ばれる赤犬子は読谷の楚辺で誕生したそうです。(生まれたのは津堅島だと言う話もあります)
そもそも、本当に実在したのか?とも言われる伝説の人物で、自ら考案した三線を手に、琉歌に伴奏をつけ、吟遊詩人の様に各地を旅しながら人々と接し、晩年には故郷の楚辺の村には五穀(稲・麦・粟・豆・黍)を持ち帰ったと言われます。
本当の所を知る術はありませんが、何百年もの昔から続く三線と言う楽器にも、沖縄と言う土地にも、本当かどうかはどうでも良く、こういう伝説が似合うと思ってます。
赤犬子の母のチラーの里、赤犬子の終焉の地と言われる読谷の楚辺(そべ)では、赤犬子を村の誇りとして今も大事にしていると言います。
五穀豊穣の村の守り神として後で紹介する赤犬子宮を祀り、赤犬子が天に登ったと言われる、旧暦9月20日頃には「赤犬子スーギ」が行われ、秋に開催される読谷祭りでは、「赤犬子琉球古典音楽大演奏会」が行われ赤犬子が讃えられます。
また、自分たちも毎年大阪から参加する新暦3月4日の三線の日には、赤犬子宮で琉球古典音楽と舞踊が奉納され、三線弾きにとっては、身近な存在です。実在したかどうかよりも、やっぱり赤犬子は手を合わせるべき三線の神様として在ることを、こうして手を合わせ、更に実感した次第です。
赤犬子スーギは、コロナ禍の間も人数を制限して執り行った、大事にしている行事だと言うこと、赤犬子スーギの中では楚辺に伝わる「イリベーシ」と言う演目が奉納されるそうで、郷土芸能が好きとしては、一度は必ずと思っています。
ちなみに、このスーギですが、日常会話の中で使われることはあまり無いかと思いますが、民謡の歌詞には良くスージと出て来ますね、祝宴です。清村師匠のズミッ!の中にも「すーじの三線聞こえてきたら♪」と言う歌詞、あれを楚辺の地域ではスーギと呼ぶそうです、面白いですね。
おきみゅーの赤犬子の動画
赤犬との間に出来た子供だった、など色んな赤犬子の物語が伝わりますが、このおきみゅーのYoutubeのアニメ動画の物語が自分は好きですね。
余談ですが、おきみゅーのこの「ウチナー民話のへや」と言うシリーズ、面白いです。
民謡にも歌われる赤犬子
平敷ナミ作詞、沖縄民謡会の大御所、山内昌春先生自らが作曲して歌った、「赤犬子」と言う民謡があります。
これだけの伝説になってる訳ですから、民謡の一つや二つで歌われていても当然ですが、山内先生の赤犬子は素晴らしいです。
残念ながら、2022年に流行り病をきっかけに失くなられてしまいました、でも、先生のこの歌はこの先もずっと歌い継がれて行くことでしょう。
赤犬子の歌詞
ツラネ:歌と三味線の昔はじまりや犬子ねあがりの神の御作
一:尋ねたずねやい 歌の元とめて拝で知りやびら歌の御縁
二:登る石段に心我ねこめて あやかりてみぶしゃ 歌の情け
三:だんじゅとゆまりる読谷山間切り あひな赤犬子 歌の根元
四:花の読谷山 歌の花咲かさ 押し寄せる波の音にのせて
五:昔御年寄の云言葉どちちゃる 我った読谷歌の根元
赤犬子の眠る赤犬子宮
名前の通り大きな鳥居がゲートの読谷のトリイステーションと呼ばれるアメリカ軍基地の前、県道6号線沿いのファミリーマートの駐車場の端に赤犬子宮を指し示す石碑があります。
入り口の石碑を横目に、坂を登った突き当り、石段を登ると、遠くには海も見える見晴らしの良い小高い場所に赤犬子の眠る赤犬子宮があります。手を合わせた後、拝所を良く見ると、三線が刻まれていました、まさに三線弾きの聖地、身が引き締まる思いです。
赤犬子終焉の地の碑の隣には、琉球古典音楽野村流音楽協会の碑も。
アクセス 駐車場
どうやら、駐車場が無いので石段の下のスペースにレンタカーを停めて、メンバー交代でお参りを済ませました。我々観光客がレンタカーでは少々アクセスし辛いかも知れません。
公共のバスでアクセスすると、バス停「赤犬子宮前」から拝所までは徒歩約5分ほどですが、バスはやはり本数が少なく辛い所です。
沖縄県中頭郡読谷村字楚辺1187番地
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